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ナイロビの蜂
2006年06月01日 (木) 23:38 * 編集
http://www.nairobi.jp/
1日は二条の東宝が1000円なので見てきた。
前評判も全く知らず、iモードのぴあのサイトで純愛サスペンスものだと思って行ったら…
全然違った。
以下ネタバレあり。

ケニアのナイロビ。ガーデニングが趣味の英国外務省一等書記官ジャスティン。事なかれ主義の彼は、アフリカで精力的に救援活動を続ける妻テッサの行動には深く立ち入らず、見ない振りを通していた。ところがそんなある日、テッサは救援活動中に何者かに殺されてしまう。警察はよくある殺人事件の一つとして処理しようとしていた。しかし、事件に不審なものを感じたジャスティンは、意を決して自ら調査に乗り出す。やがて、事件には国際的陰謀が絡んでいたことを知るジャスティンだが、そんな彼にも身の危険が迫っていた…。

http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=323841
というのがあらすじなのですが、扱っているテーマが想像以上に重かった。

「アフリカでは殺人はない ただ痛ましい死だけ」

愛はこの映画の一貫したテーマではあるが、国際的陰謀というのがこの映画のミソでかなり社会派な色が強い作品でした。
国際的陰謀というのは、大きな製薬会社が、アフリカの貧しい国の特にHIV患者を利用して治験をする。先進国の製薬会社が患者を買い取って治験する。
原作を読んでいないし、そういう現実が実際あるのかどうか私は知らない。
けれど、アフリカの難民キャンプ・スラムの現実とアフリカの美しさの対比が何度も出てきて怖くて悲しかった。
カメラワークが独特で、主人公ジャスティンの視点と国家の陰謀のために殺された亡き妻テッサのフラッシュバックが見ている自分にも感じられてのめりこんで見てしまった。
「世界には何万人と食べられずに死んでいく子供たちがいるのよ。残さず食べなさい。」
こんなこと簡単に言えなくなった。
アフリカの難民は本当に不幸なのだろうか?
欲しいものは手に入る、明日食べるのに困ることなんてほとんどない、モノであふれかえった先進国に住んでいるから、貧しい国は不幸だと思うのだろうか。
難民キャンプの人たちは、飢餓や病気で死んでいくことを不幸と感じるのだろうか。
それが当然で、小さなテントで生まれて育って死んでいく。
テレビも新聞もインターネットも無くて、何も知らされずに、ただ自分の生をまっとうして死んでいく。
何も知らされずに。
国家の陰謀も知る由がない。
飢餓よりもHIVよりも「知らされない」ことが不幸だと思った。
でも「知らされない」方が幸せだろうか?

多分私は映画の内容と少しずれたところに思いを巡らせているのだと思う。
人間の醜さ。
人間の美しさ。
人間の優しさ。
人間のずる賢さ。
人間の強さ。
人間の儚さ。弱さ。
世界の美しさ。

「地の果てで、やっと君に帰る」
ジャスティンは、陰謀を追い続けたテッサの死の真相を探るために一途にテッサの足跡をたどり続けて、最後にテッサが死んだトゥルカナ湖の湖畔で打たれて、死ぬ。
この言葉を口にした瞬間、ジャスティンはどういう気持ちだったのだろう。
私は決して安らかに死を迎えることを悟った言葉だとは思えなかった。
目に見えない大きな策略・政策・陰謀に自ら巻き込まれて、実際に見た光景。それら全てに、ジャスティン一人では到底敵わない無力さを感じ
、そしてその現実から逃れてテッサに会いに行くことで救われようとしたのではないかと思った。


ダ・ヴィンチ・コードの裏でこんなにも悲しくて人間の弱さを感じさせる映画が上演されている現実。
ダ・ヴィンチ・コードで沸き立っている国々とは別の場所で、リアルタイムで起こっている現実。

いったい、人間として生まれて人間らしく生きることって何なんだろう。
男たちの大和
2005年12月29日 (木) 20:55 * 編集
お父さんとふたりで見に行ってきました。

2005年4月、鹿児島県枕崎の漁港。老漁師の神尾のもとを内田真貴子と名乗る女性が訪ね、60年前に沈んだ戦艦大和が眠る場所まで船を出してほしいと懇願する。彼女が大和の乗組員・内田二兵曹の娘と知り驚いた神尾は、小さな漁船を目的の場所へと走らせる。神尾もまた大和の乗組員だったのだ。内田二兵曹の名前を耳にし、神尾の胸裡に60年前の光景が鮮やかに甦ってくる…。



大和についてはなんか終戦前に沖縄で沈んだでっかい戦艦(もしくは宇宙戦艦)程度の知識しかなかったけれど、すごく良い映画だった。
3000余名の命が散っていった大和。それにもっと、それ以上の犠牲者を出した第二次世界大戦。それぞれのひとたちにそれぞれの明日があっただろう。わたしたちはその明日の延長線上に生きている。彼らの守りたかった家族や祖国で何不自由なく暮らすわたしたち。その影には目を覆いたくなるような何万人もの犠牲者がおり、またそのそれぞれに小さいけれどごく日常のドラマがあったはずだ。
それを決して忘れることがあってはならない。
数々の犠牲の上に今の平和があること。
それを美化するでも卑下するでもなく淡々と、けれど壮絶に描いていた映画だった。
日本人なら一度は見ておいてほしいなぁ、と思った。

それにしても、「自分が明日死ぬかもしれない」っていう極限の状態でまいにちを送るって、当時のひとはどういう気持ちだったんだろう。それでも喜びや悲しみもあって。。
「明日死ぬかもしれない」のに喜びや悲しみをかみ締めて生きることができるのだろうか?
それともそういう状況だからこそひとは強くなれるもの?
わたしだったら恐怖で発狂しそうだ。

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